盂蘭盆会法要を勤めました 令和3年8月10日

令和3年度盂蘭盆会法要 式次第

令和3年度盂蘭盆会法要を午後1時より務めました
参列者の方々に献灯をしていただき、お勤め、焼香をおこなっていただきました
若院が御文の拝読をおこない勤行を終えました

引き続き、当院住職の巖城孝明がご法話をおこないました
お盆(盂蘭盆会)の起源についてお話をして下さり、お盆(盂蘭盆会)という行事をとおして、今を生きる私たちが「みんなと一緒に生きていきたい、という仏さまのおこころをいただく」ことが大事なのです、とお話しされました

盂蘭盆会の起源についてのお話し

お盆とは「盂蘭盆会」といって、『盂蘭盆経』による釈尊のお弟子・目連尊者の物語に由来するものです。サンスクリット語の「ウランバナ(逆さに吊される苦しみ)」を起源とすると言われ「木にさかさに吊るされたような苦しみ」という意味です。つまり、「真実に背いて、さかさまごとをやりながら生きている人間の生きざま」をいうのです。目連尊者は釈尊の教えにより、餓鬼道におちて苦しむ母を飲食をもって修行僧に供養し、その功徳により救ったという経説が行事となったものがお盆なのです。

 目連尊者は修行を積んで様々な神通力を使いこなせるようになると、まず最初に亡き母の様子を観て、その恩に報いようと考えました。あれだけ自分を大切に育ててくれた母だから、きっと極楽で幸せに暮らしているに違いないと思っていました。しかし、極楽にその姿はありませんでした。
ようやく母親の姿を見つけることができましたが、なんとそこは餓鬼の世界でした。生前に欲深かった者が死後に行く世界で、飢えと渇きに苦しむところです。目連尊者の母親は、おなかだけが膨らんでガリガリに痩せて大変苦しんでいました。まさに、逆さにつるされたような苦しみを味わっていたわけです。
目連尊者はお母さんを助けたい一心で、神通力を使って飲み物や食べ物を母親のところに送りましたが、母親がそれを口にしようとすると燃え上がり、飲むことも食べることもできません。
何をしても母親を苦しみから救えない無力さを悲嘆した目連尊者は、お釈迦さまを訪ねて、「私にとても優しかった母が、一体なぜ餓鬼にいるのでしょうか? 救い出す方法はないのでしょうか?」と教えを請いました。
お釈迦様は「母親は自分の子供を愛するがゆえに、我が子に一所懸命になり、自分の子さえよければ、よその子を押し退けてでも我が子を優先しまい、歪んだ見方・考え方になっていった。その執着した我が子だけへの愛の結果として、母親は餓鬼道に落ちることになったのです。」と諭されました。
インドの雨期の間、お釈迦さまのお弟子たちは、みんなそろって僧院のなかにこもってみんなで修行をする「 安居(あんご)」という期間を過ごすことになっていました。
お釈迦様は 「安居の修行を終える最後の日に、すべての 僧侶 に食べ物を施せば、母親の口にもその施しの一端が入ることだろう」と話されました。
目連尊者はお釈迦さまのいわれるとおりに、僧侶のすべてに布施を行うと目連尊者の母の口にも入っていって、餓鬼道から無事に救われたのです。