婦人会定例法話会が開かれました 令和3年5月10日
海老原 博 師がご法話を
正信偈のお勤め、御文を拝聴した後にご法話をいただきました
布教師様は海老原 博 師(乙部町 正受寺ご住職)にお越し頂きました
ご住職は以前まで専修寺に務めておられ、当時の思い出話をお聞かせ下さいました
コロナ感染対策のため1席の短縮したご法話となりました
疫癘(えきれい)の御文
現在の新型コロナウイルス感染の有様を思うに、私たちのあるべき姿が御文の中に語られているのではないかとお話しされました
<御文 第四帖 第九通>
当時このごろ、ことのほかに疫癘(えきれい)とて ひと死去す。これ さらに疫癘(えきれい)によりてはじめて死するにはあらず。
生まれ はじめしより して さだまれる定業(じょうごう)なり。
さのみ ふかく おどろくまじきこと なり。しかれども、いまの時分にあたりて死去するときは、さも ありぬべきように みな ひと おもえり。これ まことに道理ぞかし。
<意訳:東本願寺出版「御文さまー真宗の家庭学習」より抜粋>
近ごろ 特に 伝染病で亡くなる人が多い。だが 本当は 伝染病が原因で死ぬのではなく、
生まれたときから決まっている寿命の ご縁が切れたのだ
そんなに驚くことではないのだ。だが 世間の人々は目の前で亡くなっていく人を見ると、どうして こんな病で生きる羽目になったのだろうか と思う。これも もっともなこと である。
「病で死ぬのではなく、病気は死の縁にすぎない」「人の苦しみ:生まれたから死ぬ。死にたくないのに生まれた。」「内因と外縁:生まれた内なる因をたずねていく」「人間回復:仏からかけられた願い」についてご法話くださいました